「綺麗」では表せない部分
花を見た時、空を見た時、光を見た時、
つい『わぁ〜きれい〜!』と言ってしまうのですが、
それぞれに「綺麗」という言葉ではおさまりきらない感覚・空気感・感情があるのです。
私は、単純に「綺麗」「美しい」ものが大好きなのですが、本当はその「表現しきれない部分の違い」を感じることが大切であり、好きなのだと気づきました。
木蓮ももちろん美しいですよね。
温かさと成熟したような深みのある紫色。
しっとりとした物悲しさや儚さ。
柔らかい陽射しと、まだ肌寒い風が混じった複雑な空気感がよく似合います。
それは、タンポポや菜の花の元気の良さとも、満開の桜の豪華とも全然違う感覚です。
自分の感覚や感情を楽しみながら見てみると、この世界をさらに美しいと感じられるのだと思います。